山口広太郎 スーパーノバ

下北沢CLUB QUE、青山VAL。熱を帯びたオーディエンスが、眠れぬ夜を踊り明かしている爆音ゾーン。その渦の中心に彼はいる。「山口広太郎」。そう改めて声に出しみても、どこか空々しい。クラブでの彼は「DJ24時」で通っているからだ。音楽インディーズレーベルで働き、フリーペーパー「Supernova!」の代表を務める。「ミステリアスで切れ者」。26歳にしてそんなイメージさえ漂う「山口広太郎」の素顔に迫ってみた。(文責:宮崎智之)

音楽を知るようになったからこそ、自分がプレーヤーになることに限界を感じ始めた

新潟県新潟市出身。幼い頃は「お祖父さんっ子」で、夏休みには友人とも遊ばず、高速バスで1時間かかる祖父の家に居座り続けた。「八百屋を営んでいた祖父に市場に連れて行ってもらったり、おもちゃを買ってもらったり…」。家族が迎えに来ることを「誘拐される」と感じるほどだったという。

しかし、その一点のみを見て、『やっぱり変わり者じゃないか』と結論づけるのは、あまりに早計だろう。普段は柔道、陸上、水泳、サッカー、野球に打ち込み、クラスでは副学級委員長を務めるなど、むしろ「ふつう」で活発な小学生時代を過ごしていたからだ。ただ、あえて学級委員長ではなく、「副」を選択していたという事実を、彼の深層を知る重要な手がかりとして、念のため追記しておく。

中学校ではサッカー部に入部し、青春の汗を流した。一方、その頃からMr.ChildrenやJUDY&MARYなどJ-POPを聴くようになり、高校受験が終わった次の日にベースを購入。高校入学後は幾つかのコピーバンドを結成し、学業そっちのけで音楽に打ち込んだ。当時はライブをしても周りはビジュアル系ばっかりで、「Hi-STANDARDのコピーバンドをしていた時なんかは、演奏中にオーディエンスが立ち話をしてました」と苦笑する。

転機になったのは高校を卒業し、ブックオフでアルバイトしていた時のこと。中古CDに触れる機会が増え、音楽への知識が一気に広がった。実は、「高校卒業後1年間」を約束に、プロを目指して活動することを許されていたのだが、あえなくバンドが解散。オリジナル曲も納得したものを作ることができず、また、いろいろな音楽を知るようになったからこそ、自分がプレーヤーになることに限界を感じ始めていた。「自分の好きな音楽を、いろいろな人に聴いてもらいたい」。つらい時期だったからこそ、そんな一筋の光明が彼の心を強く揺さぶり、前進へと駆り立てていった。

専門学校で学び、新たなアーチストを発掘するため、19歳で上京する。学校がある「蒲田」と「田端」を間違えるほど、右も左も分からないままに東京生活をスタートさせた。

「どんな立場になっても、良いと思う音楽を発信することを続けたい」

ここから山口青年の快進撃が始まる訳だが、先を急がず、まずは専門1年生の時に起こった運命的な出会いについて触れておくことにする。音楽の趣味が合う友人がいなく、何となく悶々と過ごしていたある日、「NUMBER GIRLが好きな人がいるよ」との噂を聞きつけ、早速、隣のクラスを盗み見に行った。すると、まさにその日、NUMBER GIRLのTシャツを着ていた分かりやすい男が…。そのソフト・モヒカン(当時)こそが、本紙にも登場した横田大さんだった。彼との出会いをきっかけにライタークラスの人脈を広げ、後にSupernova!を立ち上げるメンバーと親交を深めることとなった。

さて、仲間に恵まれながら、「昔から上がり症」と自称しているのが嘘と思えるぐらいに自発的に活動の幅を広げていった山口青年。DJやイベントオーガナイズ、現在では音楽レーベルのスタッフとしてライブ企画やレコード制作に携わり、新レーベルの立ち上げにも関わった。

そんな様々な活動の中で起こった象徴的な出来事を、彼の発想と行動形式を知る例として、一つだけ挙げておく。それは、学生時代からフリーター時代まで続けていた新人発掘のアルバイトでのこと。このバイトはライブを見に行き、「声」や「パフォーマンス」、「ビジュアル」などを評価し、総評を書くというものなのだが、「本当にいいと思うのは100見て1あるかどうか」だそう。しかし、ある日、「100に1」以上のバンドを発見し、雇われていたレコード会社に猛プッシュした。

しかし、当時、会社が求めていたアーチスト像とは食い違っていたため、受け入れてもらうことができず。「どうしても多くの人に聴いてもらいたくて、自分でレーベルを立ち上げ、そのバンドのレコードを売ろうと本気で考えていました。細かい金額の計算までして、バンドに提案しました」。結局、実現はしなかったが、上京し環境は変わっても新潟で描いた夢は変わらない。あの時に直感した「自分の好きな音楽を、いろいろな人に聴いてもらいたい」という単純な衝動が、今も彼を突き動かしているのだ。

その時の教訓もあり、「今は自分の力を蓄えなければ」と思っている。徐々に大きな舞台に進むにつれ、「自分に何が向いていて、何ができるのか」と自問自答することもあるが、一度、踏み出した歩みは決して止めない。

人間には様々な側面があり、見る人や角度によって同じ人が別の人に見えることもある。つまり、私たちが認識している他者とは、その人のたった一面にしか過ぎないわけだが、どの側面にも共通して備わっている性質を、人はアイデンティティと呼んでいるのかもしれない。

彼の場合はもちろん言わずもがな。山口広太郎も、DJ24時も、山口青年も、Supernova!代表としての彼も。「どんな立場になっても、良いと思う音楽を発信することを続けたい」。

座右の品
My Aim Is True

このCDがなければ何も広がらなかった。今の自分につながる原点の一枚。

【略歴】

1981年9月3日 26歳 新潟県柏崎市生まれ 埼玉県川口市在住 柏崎市立枇杷島小学校→同市立剣野小学校→新潟市立松浜中学校→県立新潟商業高校→日本工学院専門学校ミュージック・エンターテイメント科→フリーター→日本工学院専門学校補助員→音楽インディーズレーベルスタッフ【星座】乙女座【血液型】A型【家族構成】父母妹2人【趣味】中古CD探し【好きな食べ物】家で作ったカレー、アボカド丼【苦手な食べ物】ピクルス、山芋【お気に入りスポット】アリオ川口店、ディスクユニオン新宿ロック館【尊敬する人】家族を養っている人【座右の銘】今んとこは、まぁ、こんなもんさ【好きなタイプ】元気がいい人【嫌いなタイプ】ザ・業界人【子どもの頃の夢】警察官

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2007-09-10-MON






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