ラーメン祭 岩川寛幸: 東京ふうの人新聞

京王線西調布駅を降りて、徒歩5分弱。今の季節なら頬を強ばらせるには十分な時間だ。品川通り沿いに“ラーメン祭”はある。店に入ると温かい。強ばった顔は解れ、店主・岩川寛幸さん(58)の「いらっしゃい」の声で解れた顔は笑顔に変わる。このお店はとても狭い。ラーメンを作る状況が全て見学できる。おじさんの手からラーメンを受け取ったとき、その湯気に包まれて、最高の安心を感じる。(文責:渡辺タケシ)

「使われるのが嫌だった。なんでもいいから社長になりたくて東京に出て来た」

世の中にはラーメン好きはたくさんいるようだ。“ラーメン祭 調布”でグーグル検索してもその評価はいくつか確認できる。面は縮れ麺、スープは豚骨醤油だが臭みはない、良く煮込んだチャーシューをはじめ、ゆで卵、もやし、ネギ、そして、ニンニクは入れ放題のスタイル。甘めのスープ。このボリュームで550円というのはかなりお得感がある。

好き嫌いは当然あるが、来店するお客の約90%はリピーターという実績を誇る。店主一人で切り盛りしているが、そのラーメンを作る一日は朝10時頃から始まる。仕込み、スープ作り、チャーシュー及び、具材作り、各種雑務、18時まで及び、開店、スープがなくなり次第の閉店だが、26時までの営業時間、なんと16時間の労働の賜物だ。サラリーマン稼業から考えたら訴訟問題級の労働時間だ。どうしてラーメン店を経営することになったのか。

「バタ屋の社長でもいいからなりたかった」。バタ屋とは今はあまり聞かないが大きな籠を背負い、落ちている紙屑、鉄屑を拾って集め、生計を立てる生業だ。今で言う廃品業者とも少しイメージは違うかもしれない。「使われるのが嫌だった。なんでもいいから社長になりたくて東京に出て来た」。高校を卒業してすぐに東京の全寮制の会社に入る。上京の前年には3億円事件があった。1969年だ。

「とりあえず、東京に出て、それからはそれから考えようと思ってた」。その後、姉の知らないうちの応募で劇団員になり、親類のコネで再度、会社員にもどり、その会社で上司を殴って辞めてからは料理の道に進んでいく事になる。「同じ仕事の年下の先輩で口の利き方を知らない奴がいて殴ったんだよ。コネもあったし止められたけど、自分には向いてないって言って辞めた」。人に使われるのが嫌で社長を目指して上京して来た岩川氏にとって会社勤めは窮屈だったのかもしれない。

「食事中に話しちゃいけないとかはおかしいよね。気取って食うもんじゃないよ」

その後、イタリアレストランで13年修行する。チーフの地位まで上り詰めたが独立し、三鷹に“ピエロ”というランチはイタリアン、夜はスナックの店舗を持つ。「一年目は繁盛したけど、二年目に近くにあった大きい会社が引っ越しちゃってランチの売上げが減っちゃった。それで、お昼に赤いシトロエンのワゴンを使って“赤い車のクレープ屋”をはじめた」。

当時、ワゴンを使ってのクレープ屋は珍しかった。一番、人気の高かったのはバナナを丸ごと一本入れたクレープだったと言う。「吉祥寺で店を出してから立川、青山にも店をだした。テレビや雑誌にも取材されたよ」。1980年代、このクレープ店を利用した覚えがある人もいるのではないだろうか。

しかし、駐車場所の問題からクレープ屋を存続する事が難しくなる。「ラーメンブームもあり、ラーメンだと比較的どこにでも出店できた」。ちょうどスナックで酔っぱらいの相手をするのも嫌になっていた時期だったと言う。スナックにて夜食のラーメンとして独学でラーメンを研究した後、スナックを閉店して“赤い車のラーメン屋”を方南町(東京都杉並区)にオープンする。

しかし、過労がたたったのかオープン後間もなく倒れてしまい、入院をすることになる。その後、今の店舗の地主から連絡をもらい、現在の“ラーメン祭”が誕生する事になる。

こんな生涯を、ラーメンを食べに行くとしばしば聞かせてくれる。ここでの食事は店主との会話を抜きに考えられないかもしれない。お酒なんかは最たる物だが、食事は食べる行為だけではない。そこにある状況をスパイスに食べ物を楽しむ行為だ。

「ラーメンはもともと30円とか50円とかで母親が食事を作るまで待てなくて小遣いもらって食べにいくようなもんだったんだよ。だから今のラーメン一杯700円とか、食事中に話しちゃいけないとかはおかしいよね。気取って食うもんじゃないよ」。リピーターが多いのはこの気取らない雰囲気に負うところが多いかもしれない。「たかがラーメン屋だけど安心する、田舎から出て来て会話もない人が来てくれて話していく。そういう場所なんだよ」。

「自分の好きな味は他人もウマいと感じるはず」と、店主はこだわりを持つ。その自分の持つ価値観「ウマい」にどうして自信を持てるのか。「食い道楽で、食事にどれだけお金をかけてきたかわからない」。立川でクレープ屋を経営している時は三鷹の自宅への帰り道に通ることができる青梅街道、新青梅街道、甲州街道、五日市街道のお店に全て入ったことがあると言う。 「料理って言うのは素材があって、どう手を加えて美味しくするか。うちのスペアリブ(*)なんかは箸で肉が取れるくらい柔らかくしてある。是非食べてもらいたい」。その舌は、自信を持てるに値する経験の数に裏付けられている。

今年は赤いシトロエンを使って新しい事業を興す計画だ。「ここで終わるつもりはない。まだやりきれてない事があるからね」。詳細は、まだ秘密との事だが、この店主が作る新しいコミュニケーション空間がどんなものになるのか楽しみなものがある。

波瀾万丈だろ?でも、いつも自分に言い聞かせてるのは、絶対に後悔はしない、反省はするけど、って事だよ」。私も常連の一人だが、この親父の生き方そのものを楽しむ為に、生き方を食べる為に通っているのかもしれない。

東京は冷たい街だと思われがちだが、一つ一つのお店を見てみれば、一人一人を見てみれば、そこには温かい会話が生まれる余地がありそうだ。マッチ売りの少女がマッチを擦った時みたいに、ラーメンの湯気から暖まるイメージが浮かんできた。

座右の品
赤いシトロエンワゴン

独立1年目からの付き合い。愛着があるよね。

【略歴】

1949年7月20日生、東京都三鷹市在住、新潟県佐渡島出身→小中高青森県下→上京/某繊維問屋(1年)→劇団(2年)→某運送会社(1年半)→某イタリア料理店(13年)→スナック経営(12年)、その間、クレープ屋→赤い車のラーメン屋(2年)→ラーメン祭(9年)【星座】蟹座【血液型】A型【家族構成】嫁・娘2人【趣味】旅行・温泉【好きな食べ物】和食【嫌いな食べ物】敢て食べたいと思わないのは海鞘【お気に入りスポット】温泉【尊敬する人】父親【座右の銘】絶対に後悔はしない、反省はするけど【好きなタイプ】よくわからない【嫌いなタイプ】年に似合わない偉そうな人【子どもの頃の夢】社長

(*)スペアリブ→祭のメニューにはスペアリブラーメンがあります。大きなスペアリブが二つのってます。イタリア料理店で修行をした店主ならでは一品!

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2007-12-10-MON






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