俳優 片山享: 東京ふつうの人新聞

薔薇の花は美しく咲こうとはしていない。ただ“薔薇”であろうとしているだけ。だから美しいのだ。誰かが言っていた。「俳優になろうと思ったことはない。物心ついたときには自分は俳優なんだと考えていた。選んだのではなく、なっちゃっていた。ある意味幸せなことだし、不幸なことでもある」。8月23日に封切られる映画『ラストゲーム 最後の早慶戦』で学徒出陣直前の慶応義塾大学野球部キャプテン役を努めた片山享さん(27)は続ける。「そもそも演じるという言葉は好きではない。その役の人物を責任持って生きるよう心掛けている。なりきるなんてできるわけがない。自分不器用だし。自分の顔で、自分の声で違う人間の役をするんだから……。役の人物の設定を背負って、その上で自分に近づける」。(文責:保科時彦)

「食費が一週間で20円くらいだったこともある」

ある雑誌のインタビューでwanna be(なりたい)ではなくwill be(なる)な俳優としての意識があると答えていた片山さん。道に迷いがなかった分、圧し掛かる重圧、苦労に対しても迂回路はなかった。福井県の片田舎の「狭いコミュニティ」では名の通った家系に生を享け、不可避的に周囲から良い評価を受けていたという。「この評価を守ることが使命だと思っていたので、悪いこととか先生に怒られることができなかった。優等生で中学の時は生徒会長までやっていたけど、自己主張もできないで、ずっと殻を被っていたから当時のことはほとんど記憶にない」。良家の子息という殻の中で、想像力は増幅され、自分は何者なんだという煩悶もあったようだ。卒業文集には「将来有名人になるぞ!」と書いてあったが、「記憶にない」という。

とにかく自分が特別な存在だという意識はあったそうだ。しかし当然のように県内屈指の進学校に進むも、「どんどん落ちぶれていった」という。曰く「記憶力だけでなんとかなる中学までの勉強法が高校では通じなくなっていた。俺は頭が悪いなと思った。ただ、落ちこぼれて行くにしたがって、自分が出せるようになってきた。捨てるものがないから、出るものといえば“自分”しかない」。

高校卒業後「とにかく俳優といえば東京だろうと思って」千葉県の大学に進学した。「関東と言えば東京だと思っていたから、千葉も東京のうちだと思ってた」。一番テストが簡単で試験科目が少ないからという理由で順天堂大学スポーツ健康科学部を選ぶ。「周りはホントに体育会系のバカばっかりで、騒ぐわ、呑むわで自分をガンガン出してくる連中だった。居心地が良くて、どんどん自分が解放されていった。それと同時に自分がふつうに思えるようになってきた」。

20歳になり、片山さんは俳優の養成学校に通いだす。そして極貧が訪れることになる。「大学の学費は親に出して貰ってたけど、養成学校のほうは自分で出していたし、学校行って、バイトして、金払って……とにかく大変で12キロ痩せた」。食事はバイトのまかないのみで、「日本一エンゲル係数が少ないであろう生活」を送っていた。栄養失調で階段を昇ることもままなくなり、踊り場で一度休憩しないと昇りきれないほど憔悴していった。「食費が一週間で20円くらいだったこともある。バイト先の焼肉屋のおばちゃんが豚トロカレーを作ってくれたり、余りものを13食分くらいラップに包んでくれて、それを冷凍して食いつないでいた」。

「例えば特攻隊には反対だが、それで命を貴ぶ問題提起になれるならやる」

転機は22歳の頃。それまで俳優をしたいとは言っていなかった母と初めて渋谷で食事をしながら「どうしたらいいか分からない」と打ち明けた。母はその場ですぐ養成学校の恩師に連絡をとるように言い、息子はそれに従った。恩師から「自分で自分の営業をしてマネージャーの苦労を知れ」と指導され、ガムシャラかつ闇雲に営業活動に勤しんだ。訪問先で「考え方が甘い」と一時間説教されたり、目の前で履歴書を捨てられたりとなかなか結果は出なかった。

邪険に扱われた営業の帰り、渋谷の246号線の真ん中で、雨が降ってきて傘を忘れていることに気が付き、何とも形容しがたい自分に対する苛立ちから、思わず叫んでしまったこともあった。あるヒーローもののオーディションの時は、最終選考まで残ったが、それまで選考にいなかった、最終選考で初めて見た役者が主役に決まり、憤慨したこともあった。「僕の何がダメだったんですか」と選考委員に食い下がると「顔」と即答された。「じゃあなんで最終まで残したんですか?」とさらに食い下がると「いい演技してた」と評される。そんな片山さんの演技の要素は3つ。“名前”、“年齢”、“育ってきた環境”。この3つが自分と役の人物の違いで、あとはその設定を責任持って生きてしまえばよいという。

やがて2005年に公開された映画『恋骨』で正式なデビューを果たすと、以後順調に仕事が決まりだす。営業時代の縁で知己となった辻岡正人監督の『DIVIDE』、『VISIBLE』にも出演し、11月公開の『シルエット』(田島基博監督)では、辻岡氏と共演する。

色んな「役」を生きていくうちに、片山さんは独自の思想体系を確立した。「言葉は感情を超えない。現象の後付けじゃないか。でも言葉は自分の気持ちを他者と共有するためのツールだから、無責任には使えない」。役に対してもそうだ。「ケツを持たない映画、影響とか考えずに投げっぱなしの映画は好きではない」という。

演じるのではなく、生きるというスタイルは役に対する責任を負うということだ。もし、自分の思想にそぐわない役のオファーが来た場合、どうするのかという問いに「断るかもしれないが、今の立場ならやってしまうかもしれない」と迷いながら答えた。

人生というのは不本意なことでもやらなくてはいけない局面もあるだろうし、理不尽なことにもグッと堪えなくてはならないこともある。もし、この問いに即当で「自分の納得しないことはやらない」と答えていれば、思想はその時点より深まることはなかっただろう。片山さんはこう付け加えた「その役がグズグズな役でも、それをやることで映画全体を生かせるというならやる。例えば特攻隊には反対だが、それで命を貴ぶ問題提起になれるならやる」。

座右の品

どんなに貧乏でも歩いてでも人と会って話す時間だけは大切にしたい。その労力は惜しまない。今まで色んな人にお世話になってきたけど、この恩は映画で返す。まだまだ頑張んなきゃとも思う。

【略歴】

1980年9月14日生まれ 福井県鯖江市出身 東京都世田谷区在住 鯖江市立河和田小→同市立東陽中→県立武生高→順天堂大学スポーツ健康科学部スポーツマネージメント学科→俳優養成学校【星座】乙女座【血液型】AB【家族構成】父母姉【趣味】カメラ、中国拳法、原付一人旅(地図を持たずに愛車リトルカブで旅に出る。暗くなると帰る)、野球、スキー、ピアノ(ピアノはスポーツだと思う)【好きな食べ物】コーヒー【嫌いな食べ物】パクチー【お気に入りスポット】旧家の屋上【尊敬する人】西島秀俊【座右の銘】人に迷惑をかけない【好きなタイプ】自由奔放で人を立てる人【嫌いなタイプ】自分の考えを持っていない人【子どもの頃の夢】俳優(夢としてではなく俳優としての自分が現実そのものだという意識)

【リンク】公式サイト 片山享(ウィキペディア)

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2008-08-11-MON






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