デザイナー 伊藤ららさん

《後編をアップしました》
彼女は言う「今の会社は“行き着いた”ってかんじです。仕事が本当に楽しくて、楽しくて」。世間は百年に一度の就職大氷河期。狭き門をくぐり抜け就職できたとしても、理想とはほど遠く、朝の通勤ラッシュ、ぎゅうぎゅうに押し付けられた電車の窓から見上げる空に「自分が本当にしたかった仕事ってこれなのか?」と溜め息が雲になって浮かぶ昨今、これくらい混じりっけなく言い切れる人はどれくらいいるだろうか。伊藤ららさんは現在、都内にある外資系の映像ライセンスを扱う会社に勤めてながら役者としても活動している。仕事と芝居、どっちか片方が疎になっているときは、もう片方もよくないと言う。常に全力投球だからちょっぴり危なっかしい(?)伊藤さんの疾走する青春をのぞいてみよう。(文責:吉田直人)

“大胆”かつ“不注意”なカリフォルニア時代

「合格通知に、なんかコングラッチュレーション的なことが書いてあるし、これで行けるなって思った」。

大学入学のためにアメリカへ渡ったのは、18歳の春だった。

伝手なし、知識なし、そしてなんと、“住むところがない”と気がついたのは渡米の3日前だった。名古屋広し、といえども、ホームスティ先も決めずに飛行機のチッケットを取ってしまうのは彼女しかいないのではないか。不注意である。

辞書を引きまくって書類を用意し、まったく土地勘のない異国の地のユースホステルで、山ほどのバスの路線図を広げながら目的地までの乗り換えを調べた。なんでも自分でやる。自立心の強い少女だ、と思いきや「タクシーの存在を完全に忘れていて。ふつうタクシーに乗るよね」。不注意、転じて、たくましい。巨大なスーツケースと鞄をいくつも抱えた華奢な少女は、ふらふらしながら新たな人生の一歩を文字通り“自力”で歩き始めたのだった。

渡米したての伊藤さんに早速の絶望が訪れた。大学側からの「あなたの入学時期は過ぎている」と言われる。ルームメイトに「諦めちゃだめ!」と励まされ、大学の事務局へ通っては大泣きしながら懇願する日々。最後は「こちらの手違いだから、大丈夫」と大学側を納得させたのだった。成せばなる。イェス、ユーキャン。

「子供のころは“しっかり者キャラ”だった。今でも自分ではしっかり者だと思ってるんだけどな」。

“先生の犬”? しっかりものと言われていたころ

「授業中さわいでいる子を注意して、叩いたりしてましたね」。

小学校時代は学級代表をしてクラスを仕切り、学芸会では主役をはったりと、とにかく目立つ子で、自習の時などは「伊藤の言うことを聞くように」と、先生からは全幅の信頼を得ていた。ところがある時「先生の犬みたいなのが嫌になった」。中学校に入ると一転、目立たないように、目立たないように過ごし始めた。

とはいえ小学校から中学校へ評判は伝わってしまうもの、伊藤さんの思惑とは別に、中学校の先生からは「お前はやるべきことをやっていない!」と不本意にも期待されてしまうのだった。

高校に入ると楽になった。

今でも仲のよい温かい友人たちとの出会い。“自主自律”が校訓を掲げ、修学旅行の目的が「夜通し討論をすること」という、ちょっと変わった高校だったが、教師が生徒を信頼している空気と、それに答える積極性の強い学生たちの校風が肌にあった。「本当は、同じレベルなら隣のかわいいセーラー服の高校へ行きたかった」と思っていた伊藤さんにとっても、結果オーライなハイスクールライフだったようだ。

エンターテイメントとの出会い

「え? あんた帰ってくるの? せっかくだからそっちにいなさいよ」。

娘が娘なら母親のセリフもなかなか素敵だ。

夏から四ヶ月間、言葉がわからない、図書館と大学を行き来する日々に伊藤さんは疲れていた。そんな最初の冬休み、帰ろうとする娘に「帰ってくるな」とは格好いい。「それでニューヨークの友達の家に遊びに行きました」。ニューヨークといえば何か? 自由の女神?ホットドッグ? 道路から立ちのぼる蒸気にかすむ摩天楼? そう、もちろん“ブロードウェイ”(注意:中野にあるやつではありません)である。

「観て、もうびっくりしちゃって。このエンターテイメント究極だなって」。

『The Life』を観た理由は、スペルが簡単でわかりそうだったから。選んだ理由は安易である。ところが観終わった後、感動しすぎて鳥肌がとまらなかった。この出会いが彼女のその後の学生生活を、そして人生を変えることになる。

「アメリカへ行った理由は、自分は何がしたいか決められないから」。

高校卒業時に自分の進路を決めて、それに伴って進学、就職していく日本に対して、アメリカは進学してから選択することができると思った。実際、日本だって大学入学時点で将来の展望がある者がどれほどいるかは不明だが、選択が後というシステムが、伊藤さんとはマッチした。

「これ(エンターテイメント)に関わることをやろう!」。第二セメスターからは演劇の授業を取り始めた。アメリカは、日本に比べるとお芝居というものが身近だった。「学校で公演を開くと、街の人がみんな観にくる。そういうのもいいなぁって思った」。

サンタバーバラシティカレッジからカリフォルニア大学バークレー校に編入したときに専攻が二つあった。「シアターアーツ専攻」と「ドラマ専攻」。そこで彼女はドラマを専攻した。「後で気がついたんですけど、ドラマってどちらかというと分析とかするほうで…」。これまた完全な不注意である。

一時帰国、初舞台、ワイヤーアクションと西海岸の日サロ

「手紙を書くのが好きなんです」。

留学中、高校時代にアルバイトをしていたアクションクラブの社員と手紙のやり取りをしていた。彼らが主催している劇団「FIRE☆WORKS ENTERTAINMENT」の第四回公演『爆熱ファイアー学園〜LEGEND OF FORCE』の時期と一時帰国のタイミングが重なり、出演。伊藤さんは20歳の初舞台だった。次の冬休みも出ることになった。その後、大学を休学して日本へ帰ってきた伊藤さんはメインの役をもらい本格的に活動を始めた。ワイヤーアックションなど、かなりレベルの高いことをやっている団体だった。

余談だが、最初の帰国のとき伊藤さんは思った「一年ぶりにカリフォルニアから帰ってきて色が白いのはないな」。カリフォルニアの海、ではなく日焼けサロンでこんがりと焼いてから帰国した。これは不注意…というか、完全な思い込みである。卵が先か、ヒヨコが先か、日焼けが先か、カリフォルニアが先か、もう誰にもかわらないが、せめて海で焼いてほしかった、と思う。

悩み、そして夕暮れの決意

「この橋を渡ったら決意ができる」。

勢いよく突き進んできたようなイメージのある伊藤さんだが、悩んだことがないわけはない。芝居の専攻を決めた後「これでは仕事にしずらいだろうな」と悩んだ。まわりの友達はビジネス関係のものをドシドシ専攻しまくっていたわけで、“仕事”という側面から見ると、演劇とか芝居というものが難しいということは誰もが考える。

「でも、あるとき大学のキャンパスを結んだ陸橋の上を歩いているときに、あれは確か夕方で、そのとき、『大学の間しかできないんだから、仕事につながらなくたっていいじゃん』って思ったんです。そして自分はこの橋を渡りきることには決意ができてるなって気がして。今でもはっきり覚えている」。高台にあるキャンパス。側には西海岸の紺碧の海が広がり、沈みかけたカリフォルニアの太陽の下、少女は決意した。

「将来のためになること」と「今(そのとき)」しかできないこと」、どちらのほうが大切だと言い切れるだろうか。誰にもわからない。ただ、真剣に生きていると結局、必要なものが残っていく。そう信じたい。


女優 伊藤ららさん
仕事、芝居、両方突き抜けていたい

「仕事があるから、芝居ができるんだな。私の場合」。 伊藤さんは帰国後、英会話学校などで仕事をしながら役者としての活動をしていたが、ある時「一回、芝居中心の生活をしてみたい」と思い、仕事をやめて職業訓練校へ。余裕ができた時間をすべて芝居に捧げる生活に変えた。大胆な決断だ。社会人としての生活というのは良くも悪くも慣れてきてしまうものだ。そんな暮らしの中で初期の衝動を忘れずに、生活や環境を変えることは簡単なことではない。

人間、突き詰めてみないと見えてこないこともある。そして彼女がたどり着いた答えは

「私、仕事がないと駄目だ」

ということだった。“自分が社会に貢献できていない”というのはこんなもつらいことなのか、と痛感した。「どっちかが疎かになっているちときって、もう一方もだめなんですよね。だから仕事も芝居も百パーセント。“仕事”も“芝居”も両方突き抜けていきたい」。

大好きな仕事、会社との出会い

「たしかに派遣で働いていたときは、朝、“仕事に行くのいやだなぁ”って思ってたこともあるもんな」。

今は毎朝、仕事に行くのが楽しくて仕方がない。本当に偶然。「ラッキーだった」と話す。以前テレビ番組の制作会社で働いていたとき、伊藤さんが一番好きだったのは海外と連絡を取り合い、映像のライセンス許可をとる“リサーチャー”の仕事。職業訓練校へ通った後、仕事を探していたら、ちょうどそれに特化した今の会社を見つけた。興味を持ってアンテナを張り巡らせて暮らしていると、好きな人とも、モノとも出会うから不思議だ。出会いとは運まかせに見えて実は、自分が引き寄せているものだったりする。その流れがきれいにハマったときに、人はそれを“ラッキー”と呼ぶのかもしれない。

会社の近くへ引っ越し、自転車を購入。愛車で通勤することやるき満々に企てていた矢先、オフィスが移転した。不注意…じゃなくって、アンラッキーなのであった。

母への想い

「母はすごく子離れできてる人で、客観的に物事を見られる人」。

伊藤さんの家は母子家庭だった。伊藤さんが子供の時分はまだ、母子家庭がまわりに少なかった。「引け目を感じたこともありました。“父の日にお父さんにネクタイを作りましょう”とかあるじゃないですか?あれを“おじいちゃんにでもいいですか?”って聞いたことがあった」。

お母さんは小学校の非常勤教師をしながら女手一つで伊藤さんを育てた。生活は決して楽なものではなかったはずだが、娘ためになることには惜しみなくお金を出してくれた。

「遊園地に連れていってもらったこととかは一度もないんですが、英会話を習わせてくれたり中学生のときから海外に行かせてもらったりしました」。寺山修司の“一点豪華主義”の話ではないが、教育者として、母親としての愛情の注ぎ方だったのだろう。そしてその気持ちが娘の伊藤さんにちゃんと伝わっている。

「母はエキセントリックなところもある人で」と笑う。「近所の海外交流センターへ出掛けては、よく外国人の友達を作ってつれてきたりして。私、知らないおじさんと動物園に行ったことがあるんです」。お母さんは実行力もある人で「1年間仕事休んでアメリカへ行ってくる」と言って、本当にアメリカへ行ったこともあるという。伊藤さんの大胆さはきっと母親譲りだ。

母に頼ってもらえるようになりたい

「子供のころは母子家庭の引け目を感じたこともあったし、母とは喧嘩もたくさんしたけれど、真似できないなぁと思う」。

子供の頃、お手伝いをすると、美術が専門のお母さんはお駄賃のほかに自分で書いた絵をくれた。それは伊藤さんにとって、とても楽しみなものだった。

「母は今年で定年なのですが、今年はどこも非常勤の口がないらしくて、この間電話で話したとき『今年は無理かもしれない』って言っていて。もっと私を頼ってくれてもいいのにと言うといつも、『あんたの世話になんてならないわよ』って言われてしまうんですよ」。

子供が頼もしくなっていくことを嬉しく思わない親はいない。“親のことはいいから、自分の好きなようにしなさい”という愛情の照れ隠しが見える。それでも子供は思う。「もっと頼ってもらえるようになりたい。いつかは」。

“ふつう”とは“驕(おご)っていない”こと

「“ふつうの人”って言葉を使うとき、二つのパターンがある気がして。一つは“つまらない人”可もなく不可もなく、みたいな。もう一つは、偉業をなしとげた人とか、ものすごい美人とか、とても尊敬されるべき人なのに謙虚な人。おごりたかぶったところがなくて、誰とでも同じ目線で話せる人」。

自分を大きく見せもせず、卑屈にもならず、ナチュラルでいることができる人、そんなふうに考えれば“ふつうの人”は素敵な人だ。「人間的に成長していくと、ナチュラルでいられるようになる気がする」。

「最近は役者じゃなくてもいいのかなって思う」

「“かじってきたこと”って意味があるんだって思えるポイントがくるんだなって最近思った」。

高校時代とか、とにかく興味のあることはなんでもやった。野球部マネージャーに柔道、アクションクラブでのアルバイト。大学進学後は芝居、ダンス。

「今後はどうなっていくかわからないけれど、最近は役者じゃなくてもいいのかなって思う。ブロードウェイの影響で芝居始めたのに、私、歌が全然できないんですよ」と笑う。立場は変わりながらも大好きなエンターテイメントに関わっていきたい。元々は演出家になりたかったという伊藤さん。近い将来「劇団・伊藤らら」が誕生する日がくるかも。楽しみにしたい。

“幸福”も“トラブル”も引き寄せるのは自分のせい?

「トラブルに巻き込まれやすいから、理由があるのかなって」。

“大胆”と“不注意”は紙一重だな。伊藤さんのお話から、あらためて教えられる。たった一度の人生、しりごみしてむだにするなら大胆にいろいろ挑戦して楽しく過ごしたい。「倒れるときは前のめりに!」とはいえ熱中すると周りが見えなくなるのも人間である。「転ばぬ先の杖」もときには大切かもしれない。

トラブルも、ラッキーも、優しい人々も、やりがいのある仕事も…引き寄せるのには理由がある。その人自身の努力や、おもいやり、そこから生まれる魅力に人は集まるし、“不注意”によってトラブルは起こる。

彼女がこれから“引き寄せる”ものたちは、素敵なものばかりであることを願う。

「自分はしっかりしている」と自負している人も、改めて気をつけてみよう。 “しっかり者”のつもりが“うっかり者”だったって場合、けっこう多いみたいだから。

座右の品
グランドコンサイス英和辞典

大学入ったばっかりのころにはまだ電子辞書とかインターネットとか普及してなかったから辞書片手に必死で教科書読んでいた。調べた単語には下線ひいて、二回目の場合は赤線を引くんだけど、赤線がすでにひいてある単語をまた調べちゃったりすると悔しかった〜

【略歴】

1978年8月24日生 愛知県名古屋市出身/東京都世田谷区在住 名古屋市立藤が丘小→同藤森中→愛知県立千種高→サンタバーバラシティカレッジ→カリフォルニア大バークレー校(休学中)→帰国後、語学学校講師→テレビ番組制作会社→映像ライセンス会社(他方役者としても活躍中)【血液型】B型【星座】乙女座【家族構成】母【趣味】旅行、ボードゲーム【お気に入りスポット】三茶の緑道【尊敬する人】母【好きな食べ物】辛いもの【嫌いな食べ物】バナナ【子供のころの夢】小説家(小四のときにクラスで発表した)

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2010-05-27-THU






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