堀江聡子

人生には筋ってもんがある。その筋からはみ出してみるもよし、沿ってみるもよし。人間おぎゃあと生まれたときから、地図も海図もないままイカダ一つで煩悩と煩悶渦巻く大海原に投げ出される。じたばたしているうちにいつの間にか自分の過去から未来の方に続く一本のおぼろげな筋が現れてくる。「先に上京していた専門学校時代の友人の誘いがあって、25歳の時に勢いで上京しました。ちょうど彼氏と別れたタイミングだったんで、しばらくお金を貯めてから、高円寺の一軒家で女三人の共同生活をすることになったんです」。やがて、この一家のかあさんと呼ばれることになる堀江聡子さんの人生筋をちょっとなぞってみようかと思う。(文責:保科時彦)

少女マンガ投稿女子はヤンキーがお好き

堀江さんは埼玉県浦和市(現さいたま市)で幼少期を過ごし、中学から父の転勤で神戸へ行くことになる。当時、男達は、血で血を洗い、拳と拳で語り合うという、なんともプリミティブな戦国時代の真っ只中。“天下人”たらんと大志を抱き、日々“となりの中学校”との縄張り争いを繰り広げるヤンキーの全盛期時代。ほかならぬ堀江さんも小学校の頃から、ヤンキーが大好きだった。当時の反動か今では草食系男子がブームだが、“漢”たちの熱い血潮に恋焦がれた女子も多いのではないだろうか。

堀江さんは少ないお小遣いの中から1000円を父に渡し、“親が子どもに見せたくない映画”として名高い『ビーバップ・ハイスクール』を6年間に渡って全シリーズ劇場で見ていたという。ヤンキーは今でも大好きで、好きなマンガは『ろくでなしブルース』、最近見た映画は『クローズZEROU』だとか。「でもヤンキーと付き合ったことはないんです。接点がなかったので」。

乙女期だった中学2年からは正統派少女マンガを描き始めた。「別マ(別冊マーガレット)に投稿したりもしましたが、一度もかすりもしなかったですね。マンガは27歳まで画いていました」。歳を重ね社会経験も積んだが、恋愛観は「中二」だという。世に言う中二病罹患後PTSDというやつだ。

高校卒業後の進路で堀江さんは美大を希望していたが、親から「東京に行きたかったら就職してほししい。大学に進学したかったら、実家(神戸)から通ってくれ」と条件を指定された。「じゃあ東京に行きたいということで、私は親のコネをフルに使って面接に行ったんですが、落ちてしまい、母に責められました。ちょうど、自分の描いたマンガを親に読まれたのも重なって、母とは険悪ムードになったんです」。父がケーキを買ってきて手打ち式を行い事態の収拾が計られたという。

「フリーターだけは反対され、神戸の専門学校に通うことになりました。本当はマンガコース専攻に行きたかったのですが、父が将来つぶしがきかなくなるからと反対し、デザイン科を選びました」。進路に介入する両親の筋と、自分の意志の筋。あらゆる筋と筋をより合わせて個人の人生筋が出来上がる。

専門学校の卒業を控え、父はこんなことを娘に聞いた。「神戸での生活は楽しかったか?」。

「中高はそうでもなかったけど、専門の二年は楽しかった」と答えると「浦和から親の都合で引っ越してしまって、望まない生活をさせてしまったかもしれない。父さんたちは長崎の実家に行くが、お前は東京か神戸好きな方に住んでいい。その費用は工面するが、これが父さんがお前にできる最後のことだ」と持ち掛けられた。堀江さんは当時専門学校にいた辰吉似の男性に絶賛片思い中だったので、迷わず神戸での一人暮らしを選んだ。こうして二十歳から初めての一人暮らしが始まった。

神戸のヤンキー好きが高円寺の「かあさん」になるまで

ロスジェネ世代の堀江さんは就職せずに、フリーターとして過ごすことになる。両親も二十歳となって成人した以上、フリーターをしても自分で生きてゆけと、敢えて干渉しなかった。初めは映画館のバイト、次いでパン屋さんで販売をした。「辰吉似の人は彼女がいたんですが、結局別れることもなく、片思いで終わりました。パン屋にマットを交換に来ていた業者の人と付き合うことになました」。その彼氏とは同棲までしていたが「典型的なダメ男」ということで、2年半ほどで別れることになった。

「ちょうどその頃、先に上京していた専門時代の友人に、東京来る気なら一緒に住む広い部屋探すよ、と誘われました。それでお金を貯めて上京したんです」。上京するのに理由はいらない。ただタイミングと勢いさえあればいい。東京とはそういうものだ。

堀江さんはまず、一緒に暮らすルームメイトと対面する。「高円寺で、まったく面識のない人を『これから一緒に暮らす人』として、紹介されました。それが悦子(金城)でした。その日、私は専門時代の友人と懐かしい地元話で盛り上がってしまい、悦子は一人でマンガ読んでいたのを覚えてます」。

高円寺の喫茶店でバイトをしたのち、同居人の紹介でデザイン事務所に就職。事務員と画廊でのアシスタントの仕事だったが、社長と相性が合わず3年半ほどで退社。「この時の後遺症でしばらく仕事をする気が起こらず半年ほど無職を続けました」。3人の同居生活は円滑に機能していて、几帳面な性格から堀江さんはこの一家の『かあさん』と呼ばれるようになる。専門以来の友人が長女で、金城さんが次女という役割。とっつぁん坊やならぬ、かあさん少女だ。

「二人が仕事して、私が家事をやるみたいな感じでしたね。母の日には娘二人が温泉旅行に連れて行ってくれたり……。今でも悦子経由の友達は私のことを母さんと呼ぶので困ったものです」。人生筋の常、楽しかった同居生活も円満のうちに終了し、今は昼は派遣で事務、夜はデッサンの専門学校に通っているという堀江さん。「派遣になったのは、ギリギリまで無職だったから仕事を選んでる余裕なかったんです。でも夜は残業もないので、専門に行く時間も出来ます」。

こうして堀江さんの人生筋を辿って、その境地を聞いてみると「ふつうって私みたいな人のこと」とのこと。中国語風に言うと「人生任筋」といったところか。世の中、中国語風にいうと「背天逆風」なアナーキーな人もいると思うし、「則天去私」みたいに達観した人も「敬天愛人」なんていうフリーメイソンみたいな人もいると思う。

しかしどんな特殊な人だって、持っているのが人生筋。その筋に従った結果のふつう。「デッサンの学校に行っているのは、人から依頼があった時に、プロとしてその仕事に当たれるようにと思ったからです。結婚して専業主婦となって自分の好きな絵を描いて生活できたら理想的だと思いますね」。

座右の品
ビーバップ・ハイスクール

ビーバップには漫画と邦画とヤンキーと初恋(仲村トオル)等、今のワタシの趣味が全部つまってるんでこれがワタシの原点なのかもしれません。

【略歴】

1976年11月20日生まれ 埼玉県浦和市(現さいたま市)出身 杉並区在住 浦和市立神田小→神戸市立鈴蘭台中→私立常盤女子高→芦屋芸術情報専門学校→フリーター(神戸)→上京→フリーター(高円寺)→デザイン事務所→無職→派遣社員【星座】蠍座【血液型】AB型【家族構成】父母兄【趣味】映画(邦画)、マンガ(紡木たく、あだち充)飲酒(ビール)【好きな食べ物】ホタテ【嫌いな食べ物】ない【お気に入りスポット】高円寺【尊敬する人】両親。辰吉丈一郎【好きな男性のタイプ】お酒が飲める人、身元がはっきりしてる人。男臭い人【嫌いなタイプ】うるさい人、自己主張が激しい人、酒癖が悪い人【座右の銘】曲がったことはしない。【子どもの頃の夢】マンガ家(27歳まで)

※見出しに使われている「セ・ラ・ヴィ」はフランス語で「これが人生だ」という意味。詳しくははてなキーワード

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2009-07-06-MON






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