三戸部紋子

いつも2、3歩先の季節を彩る街のショウウインドウたち。
最近ではアニメのキャラクターや、芸能人とのコラボレーションもあったりと、遊び心たっぷりに人々の目を楽しませてくれる。これらのウインドウたちを作っているのが“デコレーター”と呼ばれる人々。三戸部紋子さん(28)もその一人だ。(文責:吉田直人) ※撮影協力:moof(ムーフ/下北沢)

「お母さんは病気と一生懸命戦って。私は早稲田に入れるよう一生懸命頑張るから」

一瞬で街行く人の足を止め、視線を奪い、ブランドのメッセージを伝えるウインドウ作り。その作業は華やかなウインドウとは真逆、地味で過酷だ。「一つの小物の場所を決めるのに、何度も何度も置き直す。ひたすらそれの繰り返し」。ウインドウの交換は夜中に行われることが多く、朝まで作業して帰り、そのまま出社ということもある。“目に見えている”ものには必ず、それが存在するための別のものが存在する。人間の表に見えているイメージがそうであるように。

「よくへらへら笑っているせいで“何も考えてなさそう”“ちやほやされてきたんだろうね”とか“おっとりしてるよね”と、自分をあまり知らない人にはそう言われる」。フェミニンな服装やゆっくりしゃべる雰囲気が、そう思わせるのだろうか。

「女の子なのに…恥ずかしい…」。 小学校時代の運動会、騎馬戦。騎馬の上で果敢に相手の赤白帽を奪い取り、それを地面にたたきつけて「うおー」と叫ぶ彼女に、観に来ていた母親が思わず言った言葉。三戸部さんは “おっとり”どころか好戦的で負けず嫌いな少女だった。

それでいて家では、病気がちだった母親の代わりに家事をこなしていたしっかり者でもある。「高校のときとか、授業中“今夜のおかずは何にしょうかなー”って考えてたから」。そんな彼女に、家族は家政学部をすすめたが「料理や裁縫は好きだけど、小さいときから家事はやっていたから」。

“東大、京大、早慶上智、六大学以外は大学じゃない!!”“小さな大学へいくよりも、都会の大きな大学へ進んだほうがいろいろな人と出会って、いろんな価値観を学べておもしろい”そんな予備校の講師の言葉に共感を覚えた。「進学校にも通っていたし、ある程度の大学には行きたい」。向上心の強い彼女は早稲田大学を志す。

浪人をさせてほしいと頼む彼女に、母親の病状を思った父親は、志望校でなくても、二次募集でも受験して入ってほしいと言った。「この一年は何があるかわからないよ。きっと大変な思いをするけど、それでもいいの?」と。だからといって諦めたら、私は一生進路を諦めたことを親や境遇のせいにしてしまう。強い想いを胸に、はじめた浪人生活だった。「お母さんは病気と一生懸命戦って。私は早稲田に入れるよう一生懸命頑張るから」。そう約束して。

母親が亡くなったとき、心の支え全部がなくなったと感じた。「何のために頑張ってきたのか、それよりも母親といる時間を大事にしたほうがよかったんじゃないかって思った」。母親が最後に倒れた日、「一緒に買い物にいこう」と誘われたときも、彼女は勉強を優先した。

死の淵で苦しんでいる母親の姿を見たとき、自分ではどうすることもできなかった気持ちを今でも忘れることはできない。「止められないんだよね…痙攣…」。

「今何かつらいことや、苦しいときがあっても、そのときが一番つらかったから、そのとき以上につらいことはないと思うから」と母親の写真を見つめて話す。「“死ぬわけじゃないし何とかなる”ってがんばれるの」と言って、少し微笑んでみせた。

笑っている人に悩みがないなんて誰に言える?

受験本番に体調を崩してしまい、早稲田の入試には失敗してしまった。「お前が頑張ってきたのは、俺もお父さんもちゃんと知っているから」。そういう兄の言葉にも、「人は結果しか見ないんだよ!」と、悔しくて、本当に悔しくて泣いた。 “将来は人を助ける仕事がしたい”と思っていた学生時代の初め、望んで入ったわけではない女子大でのキャンパスライフは三戸部さんにとってつらいものだった。

「男の人がいるほうがいいていうよりも、いろいろな人がいるところのほうがよかった。男の人のほうが知識欲とか強かったりしておもしろいよね」。いわゆる“女子大”というイメージ通りの“女子大生”には馴染むことができなかった。「人を助けたいなら、まずは自分が楽しもう」そう思ったとき、自分に素直になれた。 好きなものは子どものころから変わっていなかった洋服。時代は就職“超氷河期”。そんな中で、美大卒でもないにも関わらず彼女は、“デコレーター”への狭き門をくぐり抜けた。

「話すことは、本当は得意じゃない。でも自分を知ってもらうためには話さないとわからないことがあると思うから。話すことで、その人の見えているイメージを超えて、人間味が増していくから」。人生にはよい結果には結びついたものでなくても、それぞれに大切な“過程”がある。

「だからかな、私は人と会っているときに、その人が今までどんな人生を歩んできたのかとか、一人でいるときにどんな顔を持っているのかとかを想像するのが好き」。苦しんだり、不遇だったりした時代があるからこそ、他人の痛みがわかり優しくなれたりする。

笑っている人に悩みがないなんて誰に言える?
明るくふるまっている人が、苦しんでいないなんてどうしてわかる?

先日、あるビジネスセミナーの講演で「まずは“伝わらない”ってことを理解してください」という話しを聞いた。“自分はそんな人間じゃない”と言っても相手が感じているものは真逆だったりするという。

“話せば分かる”とは限らない。
ただ、話してみなければわからないことだけは確かだ。
コミュニケーションにワープは少ない。一つ一つ重ねていくことが不可欠だ。“わかり合える”という奇跡はきっと、そんな積み重ねのだけに訪れるのではないだろうか。

取材日、待ち合わせ場所にやってきた彼女に、前日カメラを落として割ってしまったこと話したら、「ああ、直してあげるよ」と100円ショップでプラスチック用のボンドを買い、手早く割れた箇所を直してしまった。面倒見よい男前な一面も覗かせる。「最近、意外に男前だねって言われる“アラサー”だからイカツくなってきたのかなー」。

「だてに、へらへらしてないです!」。

三戸部さんは“野心家”だ。

よりかっこいいウインドウを作るため、フラワーアレンジメントを学んだり、美術館に行ったり、気になるお店があれば必ずチェックする。将来は、デコレーターの仕事で必ず一花咲かせ、海外に別荘を買うことが目標らしい。

「おっとりしてるって言われるけれど、内面はホント騎馬戦だよね!常に上にいって戦いたいタイプだから」。あはははーと笑う笑顔は、積年の美しさだ。「いつか父親を、母の行きたがっていたプリンスエドワード島へ連れて行ってあげたい」。人生のショウウインドウに、明るい未来の色を一つ“デコレイト”。

誰もが“人生”という名のウインドウを飾る“デコレーター”。それを互いに見つめ合うときにはちょっと、表に出ていない物語にそっと想いを馳せたい。あなたのウインドウはどんなですか?

座右の品
初めて自分のプランが採用されたウインドウ

雑貨担当になって、何度もプランを出してやっと採用された。

【略歴】

1981年2月14日生 岡山県玉野市出身/東京都世田谷区在住 八千代市立八千代台東小→八街(やちまた)市立八街南中→千葉県立佐倉高→日本女子大学人間社会学部文化学科→某アパレル関係会社勤務(ディスプレイ担当)【血液型】A型【星座】水瓶座【家族構成】父兄【趣味】アクセサリー作りと、植物の水やり【お気に入りスポット】郡上八幡【スキルアップのためにしていること】いろんな人と、自分と違うジャンルの人と関わること。人との出会いは“情報”と“情報”が合わさって大きくなっていくと思う【好きな食べ物】ごーやちゃんぷる【苦手な食べ物】ゆで玉子のぽそぽその黄身【好きなタイプ】男らしい人、思いやりのある人【嫌いなタイプ】文句ばっかり言って自分で行動しない人【座右の銘】「肉は熱いうちに食え!」【子どものころの夢】モデル(背がちっちゃい人に合わせて作れば背が低くてもかっこよくなったり、かわいくなるはずだと思ってモデルになりたかった)

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2009-03-02-MON






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