画家 竹内慎

画家 竹内慎

《後編をアップしました》上野の森美術館の「日本の自然を描く展」で作品「砂塵」が入選を果たし、個展や合同展などを開催するなど精力的に活動している画家の竹内慎さん。絵心のない筆者にとっては「画家」と聞くだけで羨望の眼差しを向けてしまいそうになるが、中学生時代の美術の成績は5段階評価で「2」だったという。さらに、これまでの人生を「グダグダだった」と振り返るとおり、絵を学ぶため「セツ・モードセミナー」に入学したのは26歳のとき。しかし、そんな人生さえも包容するような「つながり」という発想が、制作するにあたってのキーワードになっており、それは竹内さんが考える「ふつう」とも切っても切り離せない関係にある。(文責:宮崎智之)

少年の心に押された敗北の烙印

「『画家です』と人に言うと、『美術部に入っていたんですか』とか、『もともと絵が上手かったんでしょうね』とかよく聞かれたりします。事実、画家にはそういう方が多いですし」。しかし、前述のとおり美術の成績は5段階評価で「2」。部活動は剣道部に所属していたが、こちらも特に熱心という訳ではなかった。

絵画との出会いは小学校時代にさかのぼる。美術の教科書に載っていたサルバドール・ダリやルネ・マグリットなどシュルレアリスムの作家に魅了され、飽きずに作品を眺め続けた。「時計が溶けたりする作品を見て、子どもながらに身体にスーッと入ってくる感じがした」という。

しかし、絵を描くのが得意ではなく、指先も器用な方で決してない。周囲から「絵には向いていない」と言われることも度々あった。絵に自信がない筆者でさえ「3」だったのだから、「2」という成績は、ガラスのような心を抱えた思春期の少年にとって、敗北の烙印を押されたようなものだった。

そして、しだいに絵を描くことを「勝手にあきらめてしまう」ようになっていった。

他人からの評価という壁を乗り越えるには

高校に入学し、お洒落に目覚めた竹内さんは、渋谷や代官山などのセレクトショップに顔を出し、いわゆるハイブランド系の服を買いあさった。また一方で、テレビゲームにもはまり、時間がある限りプレーに没頭する日々。「ロマンシングサガやタクティクスオウガ、女神転生など、馬鹿みたいに毎日やっていました。コンビニやスーパーでのバイトで稼いだお金は、すべて洋服かゲームにつぎ込んでいました。今思えば典型的な駄目な高校生でしたね」。

進路を決める時期となり、美大や美術系の専門学校への進学も考えた。しかし、あいかわわらず美術の成績は悪く、かといって普通の四年制大学に進学するには勉強をやらなすぎていた。それなら手に職をつけようと選んだのがホテル系の専門学校。「『ホテルマンもカッコいいかな』という思いもありましたが、このときも絵への未練は断ち切れないでいました」。

“何が何でもやりたい!と思えることに出会ったら周囲からの評価など関係ない。自分の道をひたすら進むだけだ”

と、文字にしてみると簡単なことのように思えるが、たいていの人はそうは考えない。他者という存在があってこそ、自分というものを規定し、自己同一性を確保できるのが「ふつう」の人間だからだ。ましてや当時の竹内さんは、まだ高校生。他人の言葉に流されて進路を決めてしまったとしても責めることはできないだろう。

一方で、何も知らない高校生だからこそ向こう見ずの行動にでることができるという見方もある。しかし、自らを「理屈っぽい」と評するとおり、他人からの評価などを言い訳にしながら「勝手に自分で諦めてしまう」節があった。竹内さんは、そんな自分の側面を「グダグダ」と表現しているのだろう。ただし、理屈っぽいからこそ、妙な理屈を「勝手」に作り上げて、劣等感のスパイラルからポッと抜け出してしまうこともある。

それを今時は「ブレークスルー」と言うのかもしれない。他人からの評価という障壁を飛び越える瞬間は遅ればせながら26歳のときにやってきたのだったが、それはもう少し後でのこと。

夢を追わなかった自分に対する呵責

専門学校を卒業し、飲食店で働きはじめた竹内さんだったが、将来への不安を抱える悶々とした日々を送っていた。

安定した職業に付き、付き合っている彼女もいた。しかし、なにかが足りない。先の人生が見えてきたことで、このままのレールを進んでよいものなのか恐ろしくなってきたのだ。「アルバイトの若い子たちは、服飾デザイナーを目指していたり、みな夢を追っていました。それに比べて自分は挑戦せずに諦めてしまった、という嫉妬にも似た負の感情がありましたね。基本、私はネガティブなんです」と振り返る。

その後、竹内さんは仕事を辞め、彼女とも別れ、もう一度、自分がなにをやりたいのか見つめなおす日々を送るようになる。しかし、結局のところ生活のために違う飲食店で働き、変わったことと言えば正社員からアルバイトになったことぐらい。「何かをやりたい、何かをやりたい」ということばかり考える無為の数年を過ごすことになってしまった。

そんな日々に終止符を打ったのが、セツ・モードセミナーへの入学だった。


光と影の詩
下手が当たり前。セツ・モードセミナーで自由に羽ばたく

偶然、セミナーの卒業生からパンフレットをもらったことがきっかけだった。「そのパンフレットに、『成長する速度は人それぞれ』というようなニュアンスの言葉が書いてあったんですね。それを見て、何故だかその言葉を信じてみようという気持ちになったんです」。その時の年齢は26歳。ここで駄目だったら飲食店の正社員に戻って、絵の道は諦めようという思いでセツ・モードセミナーの扉を叩いた。

「成長する速度は人それぞれ」。それが、理屈っぽい青年が頼った唯一の言葉だった。しかし、この開き直りが功を奏し、他人の評価によって絵の道を諦めてしまっていた今までの自分が嘘のように思えるほど、制作に没頭していった。

「セツには合評会があるのですが、ここで厳しいことを言われると傷ついてしまう人も多いんです。でも私は、もともと下手くそだったんで、何を言われても参考にすることはあっても、気にしはしませんでした。なんせ『成長する速度は人それぞれ』なんですから(笑) 昔から絵が上手かったっていうプライドがないぶん楽なんです。むしろ、厳しく言われるのが当たり前だと」。

セツは自由な校風。技術を学び、感性を養い、メキメキと上達していった。 自身で「勝手」に作り上げた心の壁を乗り越えた瞬間だった。

今は生ゴミみたいなものだけど

卒業後は上野の森美術館での展示のほか、連作「砂塵の記録T〜W」を制作するなど、活動の幅を広げている。また、ギャラリーを回ってレセプションに参加するなどネットワークづくりにも積極的で、同世代のクリエーターとの親交も深めている。

その一人が、以前、幣紙に登場した小説家の裕次郎さんだ。二人の出会いは意外にもmixiで、「当時はmixiをはじめたばかりで、いろいろな人に足あとをつけまくっていたんですね。そのなかで、裕次郎さんの思春期感が満載の日記を発見して、ファンになりました」という。 初めて直接会ったのは竹内さんが合同展に出品したときだったが、他の共通の友人も参加していたため、裕次郎さんはその人と話し、ほとんど竹内さんと会話をしなかった。そこらへんの自意識の高さが、青春をこじらしている竹内さんと裕次郎さんらしいといえばらしい。

しかし、この出会いがきっかけになり、裕次郎さんが西多摩新聞に連載している小説「弱虫時計と君だけの神様」の挿絵を担当することになった。その後、二人で酒を飲み交わし、一気に意気投合。「今は生ゴミみたいなものだけど、いつかはトップアーチストとして対談しよう」と誓い合ったという。

点と点がつながるような世界

絵に苦手意識を持っていた少年は、いつしか絵を描くことが当たり前の青年に成長した。「飯を食べているのと同じ感覚。絵を描くことが空気と同じようなもの」になっていき、立体作品への興味も沸いてきた。しかし、プロジェクトアートなど人の目を引きやすい作品が評価される現状を目の当たりにして、「勝手に区切りをつけている自分が恥ずかしく思えるようになった」という。「画家」という肩書きを名乗っているのは、純粋なペインティングだけで、もう一度、自分の作品を見直したいという決意の現れだ。

制作をする際、竹内さんは現在と過去、未来の自分と向き合うことからはじめる。したがって、どんな「グダグダ」な過去の自分でも、ひとつの「つながり」として必ず作品に投影されてしまう。しかし、それをあえて否定しようとはしない。どんな忘れたい過去でも潜在意識に残っている限り、誤魔化すことはできないからだ。

「絵を描いているときは無心です。無心で自分に向き合って、あるとき悩みがなくなる瞬間があるんです」。

言いかえると、それは「つながる瞬間」である。幾重にも下の色を巻き込み、混ぜ合わせていく竹内さん水彩作品は、「絵が重い」と評されることもあるが、その色の重みこそ、竹内さんの「つながり」を表現しているのかもしれない。

過去、現在、未来、そして周りを取り巻くさまざまな人との「つながり」が一つになったとき、ようやく竹内さんは「ふつう」になれる。バラバラではない自然体の自分を獲得できる。

「いま自分がやっていることや、出会った人たちが一つながりになるような世界を見てみたいです。点と点が線になるような。いずれ、そうやってすべてが噛み合っていけばいいですね」。

※画像は「光と影の詩」(作品)

座右の品
G戦場ヘヴンズドア

主人公が妙な孤独を抱えているところに感情移入して読みました。点と点をつながるような、自分が理想とする世界観が描かれていて、「自分と同じことを考えている人が他にもいるんだ」と感動しました。

【略歴】

1978年8月12日生まれ 獅子座 埼玉県ふじみ野市(旧入間郡大井町)出身 ・在住 大井町立亀久保小学校→同町立大井東中学校→県立大井高校→駿台トラベル&ホテル専門学校→飲食店勤務など→セツ・モードセミナー研究科卒業【血液型】O型【家族構成】両親姉祖母【趣味】料理、酒を飲む、映画【好きな食べ物】蕎麦、パスタ【嫌いな食べ物】納豆【尊敬する人】日本橋ヨヲコ【好きなタイプ】精一杯生きている人【嫌いなタイプ】表面でしか物事をとらえられない人【子どもの頃の夢】考古学者【将来の夢】自分が今やっていることがつながれば。カフェオーナーもやってみたい【お気に入りスポット】アメ横、浅草橋、蔵前、葛飾、日本橋、両国など下町

竹内さんのブログ http://ameblo.jp/strelizia-reginae/

TOP
2011-02-06-Sat






CATEGORY
恋愛面
人生面
芸術面
社会面
経済面
国際面
スポーツ面