イラストレーター てりィ’S Factory

イラストレーター てりィ’S Factory

《後編をアップしました》
小学校の頃、どこのクラスにも1人は「漫画少年」がいただろう。授業中に漫画のイラストを描くのに夢中で、よく先生に怒られている、そんな男の子。現在フリーのイラストレーターのてりィさんはまさにそんな子供だったという。当時の将来の夢は漫画家。そして今、昔から大好きだった絵を描くことを、ちゃんと仕事にして活躍している。(文責:富永怜奈)

テストの裏にも漫画

てりィさんが小学生の頃は『少年ジャンプ』黄金期。彼も夢中になって漫画を描きはじめた。だが、漫画を描くのが好きすぎて勉強はサッパリ。学習塾に通わされたが、「テストの裏にもオリジナルの創作超人描いちゃって(笑)」。もはやイラストレーターになる運命だったのかもしれない。

一方、絵に関しては驚くくらいストイックだった。漫画家になりたかったために「これを続けていれば大人になってから絶対何かの役に立つ!」となんとネタ帳まで作っていた。

しかし、中学に進学すると、漫画への熱意はいくらか下がっていった。バスケ部に入り部活中心の生活になっていったからだ。高校進学のために塾にも行きだしたし、やることが増えたことで「興味が薄れたのかな」と振り返るが、あんがい誰にでもそんな経験はあるもの。夢中になっていたものがある日なんだかピンとこなくなり、そろそろテストも近いし……と疎遠になって、それが大人になったってことなのかなと思うのは、特別なことではないような気がする。てりィさんはそういう意味では至極ふつうに漫画離れしていったといえるだろう。

スーファミ全盛期のふつうの高校生

そんな「元・漫画少年」は、高校に入ると「ふつう学生」として楽しく高校生活を過ごす。時代はスーパーファミコン全盛期。ハンドボールの部活帰りに友達の家でスーファミでわいわい遊ぶなんて、当時の男子の日常そのものだ。「部室には常に誰かが買って読み捨てた『ジャンプ』や『マガジン』があったし、ゲームもいっぱいした。遊びに文化に乗っていた」と話す。もともと漫画やおもちゃが大好きだったてりィさんにとっては、「良き時代」だったのだろう。絵の方も昔に比べるとそんなに描いてなかったが、それでも美術の授業では、やはり誰よりも上手かったという。

そして高校3年生の夏。部活も引退し、仲間たちも自分の進路に向けてそれぞれの道を歩き出す季節。

「俺は何をやるんだ?」。

自分には絵しかない

そんな折、幼馴染みが地元の美術予備校に通っていることを知る。彼とは小学校の頃机を並べて絵を描いて一緒に先生に怒られていた仲だ。今でも仲が良い。そして触発されるように夏期講習に参加した。そして、衝撃。

「みんな自分よりも上手い!」。
「小・中学校の頃は絵が上手だとみんながチヤホヤしてくれたのに」。

その日、ショックで知恵熱が出たことは今でも忘れない。

「美大に行きたいと思っているくらいだから、各校の代表選手が集まっているということで、みんなすごく真剣。でもすぐに慣れた。自分にはこれ(絵)しかないし」。漠然と絵の仕事ができたらいいなと思っていたこともあって、てりィさんは仕事に直結していると思われるデザイン科を選んだ。そしてデザイン専門学校を卒業して、おもちゃ会社に就職した。

しかし、イメージと違う。ひたすらデザインをしている働き方を想像していたが、配属されたのは企画部で作画は外注だったため、てりィさんが絵を描く機会は「企画書にちょこっとラフを描くくらい」。「これなら辞めてフリーでイラストを描いたほうがいいのではないか」と考えて半年ほどで会社を辞めてしまった。

ただ、辞めてからも会社の人がデザインやイラストの仕事をふってくれたのは幸運だった。「辞めてからのほうがギャラが上がった」と笑うが、希望の部署ではなかったにも関わらず仕事に一生懸命取り組むてりィさんの姿を会社の人がちゃんと見てくれていたからに違いない。


イラストレーター てりィ’S Factory
路上イラストレーター生活

その後はアルバイトをしながら週末は表参道の路上で自作ポストカードを売る日々を3年ほど過ごした。路上にはいろいろな人がいる。自分と同じような仲間もいたし、毎週来てくれるファンもできた。情報誌で紹介されたりもした。自分の絵が確立したのもこの頃だったという。1日も早く路上活動を辞めて、本格的にイラストを仕事にしたいと思っていたが、好きな絵を発表してその場で評価が得られたり、今まで描いたことのないような絵を発表することの充実感が路上にはあった。そしてそのうち絵ハガキを見た人から仕事の依頼もあったという。

しかし、そんな路上生活は突如として終わりを迎える。表参道に某商業施設が建設されるために街の景観を損ねぬよう、あらゆる路上活動が検挙の対象となったのだ。

デザインフェスタ参加 フリーランスでメキメキ活躍

その時、てりィさん27歳。ライフワークを奪われ、夜勤のアルバイトもする生活が始まった。20代も後半。周りの同年代と比べてしまうことももちろんあったという。「以前勤めていた会社に勤務し続けている元同僚と会った時に、当時の自分と比較してヘコんだりすることもありましたが、後悔とかはしなかったでス。好きなことをやっているので」。劣等感や焦りよりも「目の前のことをがむしゃらに頑張るしかない」という気持ちが強かったようだ。ちなみに路上活動を辞めたのち、漫画家のアシスタントも経験。昔憧れていた漫画家という職業だったが、絵も描いて物語も作るという大変さを目の当たりにしたという。

また、路上から突然消えてしまってファンの方たちに申し訳ないという気持ちがあり、その年から「デザインフェスタ」に路上感覚で出場した。評判は上々。路上時代よりもホームページに訪れる人が飛躍的に増えた。

そして自分から営業することもほとんどなく、仕事の依頼が来るようになった。「絵だけで食べていかれるようになったのは30になってからでス」。昔は日がなゲームしたり漫画ばかり読んでいた時期もあったが、今は食事や睡眠時間も惜しいほど仕事が忙しいことも。「ちょっと前では考えられなかったような、大手企業様や憧れの会社とも仕事させていただけるようになりました」。

そしておもちゃ会社時代の同僚の紹介で、2年前から専門学校でキャラクターデザインの非常勤講師までこなしている。「自分が人にものを教えるなんて」とてりィさんは最初戸惑ったそうだが、生徒の成長を目の当たりにすることで、それが自分にも刺激になったという。「この仕事をはじめたことでまた、自分の絵や仕事に対する姿勢が変わったと思いまス」。がむしゃらに進んできたことが、いつの間にかどんどん形になっていた。

当たり前を踏まえてちょっと違うことを

「人目につくような仕事をすることが今後の目標」。ひとりでも多くの人に絵を見てもらいたいという気持ちが強い。そして新しいことも始めた。「いろいろな顔が描けるようになりたい。ファンの方々とコミュニケーションをとりたい」という思いから、去年の夏に似顔絵を描いてそれを展示するという個展を開いたのだ。ファンとコミュニケーションを取りたいと思ったきっかけを、こう話す。

「路上やデザフェスでは、自分の絵が好きな人がちゃんと見えていたり感想が聞けたのでスが、仕事の絵が中心になってからその機会が持てなくなってしまって。あと何よりも仕事でお世話になっている携帯待受サイトで色紙とTシャツのプレゼント企画をしていただいた時に、応募と一緒に送られてきたファンレターのコメントのひとつひとつがとても励みになったんでス。それで恩返しではないでスが、こちらからもモーションをかけたくなりました」。仕事で忙しくても向上心は強い。

「ふつう、じゃないほうがいい。自分は一般的な考え方だと思うし、とりわけ特技や特筆すべき趣味もない。ふつうだと思いまス。ふつうだということを自覚しているだけにふつうとは違うことをする。そこは意識的に変えられるところなので、当たり前をわかったうえでズラす……難しいけれどそこはこれからの自分のテーマだと思っていまス」。



フリーランスという働き方で、10、20年後がふと不安になることもあるが「10、20年後の不安をなくすために今できること以上のことを精一杯頑張るしかないと前進する。

座右の銘は「継続は力なり」。小学校からテストの裏に絵を描きはじめてから重ねてきた「継続」は、これからも今以上に巨大な「力」となって、てりィさんの魅力を大きくし続けていくに違いない。

座右の品
自分のイラストのフィギュア

イラストレーター駆け出しの頃、ファンの方に作っていただいた物。すごく嬉しかったでス

【略歴】

1975年9月20日生まれ おとめ座 埼玉県越谷市出身 東京都杉並区在住 A型 越谷市立千間台小学校→同中学校→埼玉県立越谷西高校→桑沢デザイン研究所→おもちゃ関係制作会社→フリーランスのイラストレーター【家族構成】父母妹【趣味】特になし【好きな食べ物】りんご、柿ピー【嫌いな食べ物】イクラ【好きなタイプ】よく笑う人・物事を客観的に見ることができる人【嫌いなタイプ】自分勝手な人【子供のころの夢】漫画家【お気に入りスポット】自分の家【座右の銘】継続は力なり

【ホームページ】
てりィ’S NET http://www.terrys-net.com

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2010-09-13-MON






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