田島基博: 東京ふつうの人新聞

ある秋の日に早稲田にある寺に坐禅を組みに行った。何も考えず無になろうとした。もちろんなれなかった。無であるということ自体嘘である。なぜならそこには“無”が“ある”からだ。だから虚無だ。サイレント映画には音がある、声がある。ただそれが耳を介しては聞こえないだけだ。時としてトーキー映画より激しい音を含んでいることもある。「言葉を大切にしたかったんですね。自分も言葉の乱れの中にどっぷり浸かっていて、何か伝えたいことも省略した言葉で伝えようとしてしまったり……。表現しきれなかったり。それならサイレントで映画を撮ろうと思った。それが本来の言葉なのかもしれないから」。そう語るのはこのたびモノクロ・サイレントムーヴィーでデビューする田島基博さん(29)だ。彼は続ける。「チャップリンから受けた影響が強いけど、当時は白黒無声映画しかなくて、パントマイムで表現しようとしたチャップリンとはそこが違う」。(文責:保科時彦)

映画を撮ろうと思ったきっかけは4年前の失恋

何かを足すことによってではなく、何かを引くことによって、より多く感じることもある。音楽なら、インストゥルメンタルだったり、逆にヴォーカルのみの歌だったり。スイカに塩をふるとより甘く感じるように。耳から聞こえないから、目で聞く。頭で、こころで聞く。考える。情報が少ないから、それを埋めるために一層考える。自分で声を想像して、セリフを作る。自分でストーリーを創る。そうせざるを得ない。「だから疲れるんです。僕の映画は。テロップに笑いを助けられているバラエティ番組は考える力を削いでしまっているでしょう。僕の映画は終始考えて、疲れて、疲れるくらいまで考えることの大切さを知るような意識改革がしたいですね」。 確かに映画は手軽だ。小説の映画化を考えても本を読むより圧倒的に多くの情報を短時間に一方的に与える。ただ、想像する力を削ぐ。小説の中の“美女”像は、実写に限定される。サイレント映画はそういう意味で、逆小説だ。“絵は与える。言葉は想像して欲しい”。

今度は僕らが想像する番だ。この映画を撮った監督がどういう人なのか。

田島さんが映画を撮ろうと思ったきっかけは4年前の失恋だった。やり場のない衝動を吐き出す手段として映画を選んだ。それはよくあることだ。2年半付き合っていた彼女に「好きな人ができたから」と突然ふられたのだ。大して飲めない酒を喰らい、途方に暮れていたところに、中学時代の同級生から一緒に映画を撮らないかと誘われた。「小学校くらいの頃から映画は好きだったし、中学でも友達を誘って観に行ったり、一人で行ったりしていた」という。だが、田島さんは、件の失恋を経るまでは映画とはほど遠い世界に身を置いていた。

小・中と勉強ができた田島さんは私立の進学校理数系コースに進むも、すぐに勉学への興味を失くしてしまう。「高校が男子校だったので合コンばっかりしていましたね。人生に3回あるとかいうモテ期を使い尽くしてしまいました」。そのモテのテクニックとは“遅刻して登場する”、“チャームポイントを褒めちぎる”“共感してあげる”、“相談にのる”ことだと言う。「4年前の失恋から、今では女の人が怖くなってしまったんですけどね……」と補足もしている。

空手、パティシエ、考古学。道草を重ねて映画の世界へ

合コンに明け暮れる一方では、空手道場に通いだす。マンガ『空手バカ一代』を読んで「極真しかない!」と思い立ったという。「自分をひたすら鍛えるのが好きでした。マゾですね。鍛え上げた太ももを『蹴ってみ』とか言って。いつか山に籠もってやろうと思いましたよ。石でも割れるんじゃないかなとか思って、電柱に座布団巻いて殴ったりしてました」。

武闘派になった田島さんは、学校にまともに通わなくなっていた。「通学で山手線に乗って、座って寝てたんです。気が付いたら何と2週していて、しょうがないから上野で降りて弁当食ってたりしました。学校は友達に会いに行くだけでしたね」。定期テストでは赤点13個(うち0点4つ)という惨状だった。

当然卒業せずに高校を中退。通信教育で高卒の資格を得た。その後フリーターとしてスーパーでアルバイトをしていたが、ある日、神戸で食べたお菓子に衝撃を受け、武闘派はパティシエを目指すことになる。専門学校で菓子作りを学び、外資系ホテルのパティシエとして就職するが、ここで田島さんの人生に予期せぬ障壁が出現する。「タマゴアレルギーになってしまいました。専門にいたときは大丈夫だったんですけど……。卵をかき混ぜると腕まで真っ赤になってしまうんです」。

パティシエとして致命的なこの発症でドクターストップがかかり、断腸の思いでパティシエを諦める。人生万事塞翁が馬。田島さんはこの失業によりかねてから興味があった大学に進学することにする。「マスターキートン(浦沢直樹のマンガ)に影響されて考古学に興味を持ちました。それで考古学のある大学を受けることにしたんです」。

大学在学中は福生市で発掘調査をしていたが、本当は「埴輪の研究がしたかった」田島さん、家に埴輪のレプリカまであるというマニアっぷりである。戦士の埴輪4万円のところを値切って8千円にして購入したという。

ここまでが田島さんが食べてきた“道草”だ。大学3年で前述の失恋…、学業は卒論を残して放棄し、映画作りの専門学校に通う。初めはPVのようなものを作っていたという。

『クローズZERO』では配給会社の演技事務として現場に参加し、辻岡正人の知遇を得る。「もともと道草を食うことは好きです。ただ、自分の場合は映画に“携わりたい”わけじゃなくて、“撮りたい”と思っていたので、配給会社を辞めて、辻岡正人を主演に映画を撮ることをにしました」。主演女優には世界エアデート選手権で優勝した大人気AV女優の長澤つぐみを起用、片山享も参加し『シルエット』は完成する。公開は2008年11月15日〜渋谷のアップリンクXだ。

来年あたりには国際映画祭に打って出てみようかとも考えているそうだが、ずっとモノクロ・サイレントでやっていくつもりだという。「言いたいことが、サイレントでどうしても表現できないものがでてきたらトーキーを撮ることも考えます」。続けると有名になる、ウォーホルの言葉だ。

のっけからメインストリートに与せず、逆視逆考という場所に佇む田島基博は言う。「ふつうの人っていいますけどね、そんな人いますか?」。確かにちょっと考えてみると、ふつうの映画ってなんだろうと思う。ふつうのアートってなんだろう。ふつうのアートがないように、ふつうの人なんていないのだろうか。それとも……。答えを出すにはもう少し道草を食べてからにしよう。

座右の品
SASサバイバルハンドブック

マスターキートンに憧れて。あれさえあればどんな環境でもやっていけるんじゃないかと思う。水の採り方とか野草の食べ方とか分かる。

【略歴】

1979年8月13日生まれ 東京都練馬区出身・在住。 練馬区立仲町小→区立開進第四中→佼成学園高校中退→通信教育で高卒資格→フリーター(スーパー)→武蔵野調理師専門学校→浦和ロイヤルパインズホテル→立正大学文学部史学科(4年次中退)→大学在学中からニューシネマワークショップ(NCW)→映画配給会社→独立【星座】獅子座【血液型】B型【家族構成】祖父母・父母・妹・妹【趣味】歴史探索【好きな食べ物】マック【嫌いな食べ物】キノコ全般【お気に入りスポット】練馬区【座右の銘】今を生きる【尊敬する人】チャールズ・チャップリン、辻岡正人【好きなタイプ】ちっちゃくてカワイイ人【嫌いなタイプ】フィーリングの合わない人【子どもの頃の夢】スーパーヒーロー

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2008-11-03-MON






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