俳優・映画監督 辻岡正人: 東京ふつうの人新聞

「ちょうど保科さん(筆者)がフランスに留学したいと思って実行したように、俺も自然と映画を撮りたいと思ったんです」。 かつて俳優の大澤真一郎さんの取材の時に同席していた辻岡正人さん(29)が僕に言った言葉だ。辻岡さんが自主映画を撮ったのは弱冠二十歳のことだった。 18歳で映画の脚本を書き始め、必死でバイトして貯めた自己資金100万円を握り締めて映画を撮り、22歳の頃完成させる。この映画『LOST BY DEAD』(主演は辻岡正人と大澤真一郎)を引っさげ23歳で監督デビューすると、25歳で再び大澤真一郎さん、倉貫まりこさんと撮った『DIVIDE』でトロントリールハート国際映画祭の監督賞と審査員特別賞を受賞。ニューヨーク・タイムズ誌『世界で活躍する新鋭監督100選』に選ばれる。この成功でヴァイオレンスの申し子と評される。世界で活躍する二十歳の俳優はいくらでもいるが、監督となるとそういない。しかしその若さ神聖視させないのが冒頭の彼の言葉だ。寝食を忘れてのめり込むものがあるのはけして珍しくはない。「たまたま俺のそれが映画だったというだけです」と言う。 現在は俳優として次々に映画、TVに出演している辻岡さん、今冬長編映画で監督をする。寝不足状態でインタビューに答えてくれた辻岡さんが変なテンションで下ネタを交えながら語ってくれた。今回僕は彼の活動の根底にあるものを書きだしてみようと思う。(文責:保科時彦)

大阪のヤンキー、塚本晋也監督の『バレット・バレエ』でデビュー

「いま会う人達に大阪出身と言っても信じてもらえない」という辻岡さん、小学校の頃はドッヂボールや秘密基地を作ったりして遊ぶ少年だった。女の子と遊ぶことも多かったが、教育熱心な父には進学塾に通わされ「東大に行け」と言われていたという。「父は灘中に行かせたかったみたいだけど、神戸に行けばみんなと離れることになるから、反抗して地元の中学に進んだんです。勝手にしろって感じで見放されましたね」。

中学に入ると俄然勉強しなくなり、バイクにタバコといういわゆるヤンキーライフを送るようになる。時代は90年代、ルックスのいい大阪のヤンキー、これでモテないわけがない。高校時代はおよそ50人からなる辻岡ファンクラブがあったとか。「4又かけてましたよ。あるとき地元のダイエーのゲームセンターに同じクラスの女の子といたんですが、エレベーターが開いたとき1コ上の先輩がいて、そっから4又が全部ばれて、一切が消滅しました。今は全く奥手なんですけどね」。今は浮気することもなく、好きな人には一筋に尽くすようになったとか。曰く「何でもしますよ。お尻の中でも舐めますよ」。

高校一年の時には暴走族を旗揚げし、総長となる。その名も「豊中暴走ストリート集団、Bear Tomorrow」。地元の熊野田からとった、なんとも可愛らしい名前の族だ。「大きい喧嘩もありました。豊中市代表として、池田市の連中とやりあうことになったんですが、池田に向かう道中で覆面(パトカー)に待ち伏せされていて、自分含め15人くらい捕まりました。なんとか警察を巻いて池田に辿りついた仲間は、待っていた怖い人にボコボコにされてしまって……」。なんとも物騒なこの一件で辻岡さんは池田署に連行され、族は解散。有り余るエネルギーを燃焼させられず、高校は一層退屈になり、興味は映画に向かって行った。

「毎週親が『ザ・テレビジョン』を買っていて、その告知で塚本晋也監督が映画のメインキャストを募集しているということを知りました。それまでオーディションとかまるで受けたことはなかったのですが、初挑戦で合格することができて、『バレット・バレエ』でデビューすることが出来ました」。今では塚本晋也氏を“神”と呼ぶ辻岡さんだが、受けた当時は知らなかったそうだ。親にいたっては“山本晋也監督”と勘違いしたみたいで、訝しがられていたという。17歳でオーディションに合格した辻岡さんは高校を中退して、上京、『バレット・バレエ』の撮影に挑む。親が大学進学のために貯めていた資金を最後の投資として上京費に充てた。

塚本晋也監督と言えば自主映画というジャンルそのものを生み出したような人物で、第二次日本映画の先駆と目されている。その演出を間近で見せ付けられた少年辻岡は出演するよりも、作るほうに興味がシフトして行ったという。

「この映画を誰に見てもらいたいの?」の問いの向こう

18歳で脚本を書きながら、朝は新聞配達、昼はテレアポ、夜はクラブのウェイター、夜が空けるとまた新聞配達というサイクルでバイトをして、半年で100万円貯めた。身を粉にして貯めたお金を元手に塚本監督の見よう見まねで撮った『LOST BY DEAD』。これが辻岡監督の原点である。完全に独学で映画製作を学んだ辻岡さん。「とってもパンチの効いたものを作ろうと思った。キャリア、資金のある人にはできない何かを作れるようにならないとデビューできないと思った」という。

映画は撮るだけでは映画にならない。それを配給して初めて作品になる。『LOST BY DEAD』を配給しようと配給会社ゼアリズエンタープライズに持ち込むが、そこの担当者に「この映画を誰に見てもらいたいの?」と問われ、「多くの人に……」と答えると、「多くの人って誰なのよ!」と詰め寄られた。「この人に鍛えてもらいました。質問の答えは出してくれない人だったから、必死で自分なりの答えを探しました。今の答えは『スクリーンの向こうにいるたった一人の人に見てもらいたい』というものです。大スターでもないのに多くの人に…なんて生意気だと思ったんです。多くの人という集合ではなくて、一人一人の集合が多くの人なんだから、そこから逆算して考えて導き出した答えです」。

この配給会社で鍛えられたことは財産だという。「どういう映画でどういう人に見てもらいたいかということを考えて映画企画できるようになりました。青春といってもそれぞれ別々の青春があってどれも青春なんだから“20代”とか“青春”とか一括りにできるようなものじゃないでしょう」。

映画が配給され媒体に載っているものを見て初めて親も「頑張れ」といってくれた。このたった一人にこの一言を言わせること。これが映画を世に出すことの意義かもしれない。

今後は監督業を主体に役者もしてくことを理想としている。「ゆくゆくはメインストリーム的な映画も撮りたいと思うけど、まだキャリアの面から背伸びをするような映画は撮りたくないです。なるべく等身大の自分が発するような、一人でも多くの人を揺さぶれるような映画を撮っていきたいです」。

一人の固体の集合が多くの人を形成する。それは見る側だけでなく、作る側も同じことだ。「撮影後もキャストとスタッフの関係が濃厚」という辻岡映画。ポリシーから生まれる関係性の網はアンダーグラウンドでもメインストリームでもヴァイオレンスでもホラーアドベンチャーでも変わることなく辻岡監督の中枢に根を張っている。

座右の品
トロフィ

写真のトロフィは日本の映画祭後援会からのもの。DIVIDEの監督賞でもらった。自分の映画が大きい国際の場で評価された証。この成功でLOST BY DEADも世界中でDVD化された。

【略歴】

1979年9月3日 29歳 大阪府豊中市出身 東京都在住 豊中市立熊野田小→同市立第三中学校→大阪府立豊島高校中退→『バレット・バレエ』で俳優デビュー→『LOST BY DEAD』で監督デビュー【星座】乙女座【血液型】AB型【家族構成】父母兄仰向けオナニー【好きな食べ物】肉感のある女性【嫌いな食べ物】我の強い女性【お気に入りスポット】町田【座右の銘】誰がために【尊敬する人】塚本晋也【好きなタイプ】人気急降下女優【嫌いなタイプ】人気昇り坂の女優【好きな映画】ウォリアーズ、ストリート・オブ・ファイヤー(共にウォルター・ヒル監督)【お気に入りデート】近所の公園で花火したり、缶コーヒーを飲む【好きな休日の過ごし方】ファミレスで15時間くらいドリンクバーを継ぎ足しつつ友人とお喋りに興じる【足】ボアアップした原付。ロケハンにも便利。50メートル先のコンビニに行く時も使う【今一番撮りたい映画】自分の10代20代の一番荒々しかった時代の若者アウトロー映画。タイトルは『東京ギャング』となる予定。ただまだ自分の力量がそれを撮るに達していないような気がする。

【リンク】公式サイト ウィキペディア・辻岡正人

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2008-09-08-MON






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