エイキミア: 東京ふつうの人新聞

1月、旧東横線桜木町駅舎『創造空間9001』で横浜市創造的美術文化活動支援事業の一環で開催された安野太郎「音楽映画・横浜」に出演した。特定の地域を撮影した映像作品を作り、その画面に映った文字を読む、物体の名称を言う、人の姿や動きを文章として描写するなど、言葉の発声による音楽作品として構成、上演する独自の作品だ。エイキミアさん(29)は女優、パフォーマーをしているが、それを生業としているわけではない。派遣社員として平日は某大手IT企業で働いている。輝いているのは女優の場。大半はOL。肩書きは、本人、その名前にさせていただきました。(文責:渡辺タケシ)

「仕事を続けながら演劇をするのが自分の生活のリズムとしていいんだと思う」

演出家志望だったり、自分の劇団を旗揚げするのが夢だったり、そういう事で女優活動をしているわけではない。「一兵卒なの。やらされることをやる。いい作品の一駒になりたい。舞台をしている人はみんなそうだと思うけど、稽古をして、成果としてお客さんに見せる時にスポットライトを浴びる。その時に、生きてるんだ、って感じる」。

例えば、舞台に立つ彼女がカラーだとすれば、日常生活の自分はモノクロだという。「演技で食べていこうという気はないのかも。一生続けていきたいとは思うけど。仕事を続けながら演劇をするのが自分の生活のリズムとしていいんだと思う」。日常生活では渋谷で派遣社員としてOLをしている。演劇活動をしていることも同僚にはあまり話していないとのこと。「いい歳して何してるの、って言われるに決まっている」。

だが、彼女にとってカラーの生活にはモノクロの生活も不可欠になっている。躁鬱でいう躁状態だけになるとおかしくなるのと一緒かもしれない。「自分自身はいたって普通の常識人。でも、演技の生活は普通ではないと思う。職場の会話の方が普通だと思う」。

秋田にて生まれる。生家は学業と芸術に力を入れる家柄だった。「親が勉強する時に横についてるの。嫌で嫌でしょうがなかった」。スパルタの結果、中学校では県内で学力テスト1位になる。「1位はどんなやつなんだ? って、クラスに私のことを見に集まるの。気持ち悪かった。勉強での表現は自己表現ではなかったのかも」。

学力1位になると、その時点での勉強の探求は「自分の中で満足した」。全く勉強をしなくなり、今度はラジオを聴くようになる。「16時に帰って、ご飯を食べて20時から3時間くらい勉強するふりをして漫画を書く。それで23時くらいから伊集院光、25時からオールナイトニッポンを聞いてた」。この時期に“とんねるず”や“デーモン小暮”という新しい価値観に触れたという。秋田のラジオ電波状況は東京のものと一緒には出来ない。「時々、音が遠くなったりして、難聴になった」。

進学に関しては昔の頑張りがあり、県内でも有数の進学高に通う。女子校だった。高校でも漫画は続けていた。なにかをして自己表現をしたいという願望はいつも脈々と身体の中を走っていた。大学入学をきっかけに上京する。大学では、「もともとやってみたいと思ってた」音楽を始める。ヴォーカルを担当する。その後、6年間アーティストとして活動するが、その表現はいつも“?”マークのついたものだった。「メンバーからかっこいいミアちゃんでいて、っていつも言われた。でも、私は三枚目だから無理。ストレスだった」。

ゴールデン街で言われた一言で、主観の自分から客観の自分へ

バンドを脱退する。「メンバーからひどい事を言われて、新宿から中野富士見町まで泣きじゃくって帰った」。その頃つきあい始めた彼氏に、「脱退したあたりでいろいろ遊びを教えてもらった。旅行、カラオケ。回転寿司、宅配ピザを食べたのもこの頃が初めて。いろいろな体験した」。それまではバイト、学校、絵、バンド、すべてに真剣で、周りが見えていなかった。しかし、バンドが終わり、経験の幅が増えたにも関わらず、彼女の心にはぽっかり穴があいていたという。

母親には「あんたの努力なんてまだまだ、ってよく言われた。いつも周りの評価と母親の評価を考えちゃう」。そういう考えがしみ込んでいるからか、のめり込めるものをまた探し出す。「陶芸、メイクの教室、フラメンコ、心の穴が埋まるならなんでもよかった」。

ある日、新宿のゴールデン街に飲みにいくと、どこかの役者さんですか? と言われる。「他人から自分はそういう風に見えるんだと思った。主観の自分ではなく客観の自分をやってみよう、一種のチャレンジ精神」。地盤はあった。幼少の頃から親につれられて劇場にも足しげく通っている。姉の知り合いが講師をしているENBUゼミナールに通う事になる。「水を得た魚のように、二枚目じゃなくていいんだ、って。解放された」。コメディーからノーマル演劇、はたまたアブノーマル演劇、パフォーマンスまで現在の活動は多岐にわたる。

「1年後には今考えてる事は変わるかもしれない」。去年の夏にはすべてをやめようかとも思った。「原色の私も、モノクロの私も、両方ともうまくいかなくて、先がないなって思った」。朝があけたら実家に帰るつもりだった。23時から朝の5時まで泣いた。「潰されそうで、悲しくて悲しくてどうしようもなかった」。朝が来たら落ち着いていてさっぱりしていたと言う。「今まで泣くのを我慢していた。同時に、他人がいるから自分が生かされていて、そういう感謝の気持ちを忘れていたのに気がついた」。

「もっと伝える事がある。たとえ、1年後にやめるかもしれなくても今は自分は演技をやるべきなんだと思う」と言う。誰でも、他人から見た自分以外に、心の中に自分を持っているのではないだろうか。その自分が、自分に対して言う、演技したい! と。

「インタビューを受けてみて、結局、私は未来とか、何も考えてないんだな、って分かった」。考えるのではなくて、今を感じているのだと思う。大海原で、道標は輝いている、舞台でスポットライトを浴びた、自分自身だった。

座右の品
14歳

小中学校の学級文庫に置いてほしい。

【略歴】

1978年8月21日生、東京都杉並区在住、秋田県出身→秋田市立飯島中学校→秋田県立秋田北高等学校→東京家政大学家政学部服飾美術学科美術専攻(在学中からミュージシャン)→ENBUゼミナール→フリー【星座】獅子座【血液型】O型【家族構成】父・母・姉【趣味】おしゃべり【好きな食べ物】カレー【嫌いな食べ物】桜でんぶ【お気に入りスポット】新聞があってモーニングが食べれる喫茶店【尊敬する人】自分の好きな人全部【座右の銘】毎日を楽しく【好きなタイプ】心身共に健康な人【嫌いなタイプ】集中力のない人【子どもの頃の夢】お花屋さん

TOP
2008-02-04-MON






CATEGORY
恋愛面
人生面
芸術面
社会面
経済面
国際面
スポーツ面